どこからが現実で

どこからが非現実なのかってゆー境目もあいまいな状態ってのは非常に拙いだろう。
なんでもない日常が非日常的なものになる瞬間っていうのはそのなんでもない日常の範疇なわけだから。その判断をする時点では頭の中はクリアでないと。
境界って大事。ボーダーレスなのはカップヌードルのCMだけだ。
まあ私自身のことでなく、他人事ではあるんだが・・・。
なまじ、ちょこっとの交流はあったからな。
袖すりあうも他生の縁っていうし、そっとひそかに心配するくらいはいいかしらね。


ところで
「袖擦りあうも他生の縁」の同意語として「袖振りあうも他生の縁」とか言いますが、
これって『(自分の袖と)見知らぬ人の袖と触れ合うのだって前生と後生によっておきているだから
人との出会いは大事にしなさい』みたいな意味の言葉な訳で。
でも日本人同士で目が合ったからって挨拶する人はまれだし、見知らぬ人と袖は振り合わないんじゃ、とか思った。
だとすると振りあうも〜の方は英語圏の人が目があった時にハローとか言うのを日本人っぽく表現してるのかな、なんて、ちょっと思った。

だって、擦ると振るとじゃ言葉の意味からして全然違うんだもん。
擦りあうと振りあう、じゃもっと違わないか?
馬鹿なことを考えてるな、という自覚はある。
しかし謎だ。謎が謎を呼び、以下次号だ。